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【インターンレポート】『隅田側に立つ』を通して考えた、私にとっての「公共性と公益性」福元花奈

NPO法人トッピングイーストでは、インターン生に「現在自分が考える”公共性”と”公益性”」をテーマにレポートを書いていただきました。今回は2020年11月よりインターンに参加してくれている福元花奈さんのレポートです。福元さんは特に『隅田川怒涛』ではリサーチや事前予約管理・現場運営を、『隅田側に立つ』では進行管理・ハンドアウト制作を担当しました。

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 「浮世絵×隅田川」をテーマにトークイベントを担当した私が考える、『隅田側に立つ』と公共性・公益性との繋がりは、「循環」という言葉に集約することができるのではないだろうか。本稿おいて、公共性・公益性とは「性別や年齢、職業などを問わず多くの人にとって価値のある何か」を意味している。ただ、公共性・公益性がもたらす効果は具体的な数値となって現れにくいものであり、ビジネスの世界などでは、常にそれに重きが置かれるとは限らない。つまり、公共性・公益性の維持にはパブリック・セクターやNPOからの働きかけが欠かせないのである。このような前提をもとに、以下では『隅田側に立つ』と公共性・公益性の関係性を模索していきたい。
 まず、展示全体のコンセプトであった「日常を見つめ直す、新たな視点を共有する」は、企画と公共性・公益性の繋がりを探るための重要なキーワードになっている。というのも、遠くの地(留学や海外旅行を含め)に気軽に足を伸ばすことができなくなり、さらには大人数で集まることが憚られるようになったコロナ禍の今ほど、自分自身やその周囲の人や物事について考えることはこれ以前にも以降にもないように思えるからである。今この時期こそが、周囲のモノ・コト・ヒトに対して意識的になる良い機会であるのだろう。
 そして今回、私は浮世絵トークのテーマを絞った。その理由は、コロナ禍以前は四季の変化に対して無関心だった自覚があったからである。3年前の私は、目の前の生活(大学入学に伴う生活リズムの変化、新たな出会い、部活動、アルバイトの掛け持ち…etc.)で精一杯になるあまり、季節というものの移り変わりに対してほぼ全くと言ってよいほどに目が向いていなかった。ところが、新型コロナウイルスの感染拡大によって多くの社会活動が制限される中、それまで全くしてこなかった散歩をするようになり、道々に生えている草花や地元の風景などに徐々に「気が付く」ようになっていった。このような現象は、私以外にも多くの人に当てはまることなのではないだろうか。これは、慌ただしい生活のなかにある種の「隙間」が生まれると、今まで見過ごしていたものが自分の視界に入ってくるということなのだろう。
 
 ここからは、私が担当した「浮世絵×隅田川」トークイベントがもち得る公共性・公益性について、具体的に考えていきたい。まず、本トークでは、一般社団法人北斎振興会代表の五味和之さんをゲストにお迎えし、隅田川沿いで展開された江戸市民の生活を追体験することを目的に、隅田川流域を描いた浮世絵作品を春・夏・秋・冬の順に見ていくかたちで展開した。五味さんの浮世絵レクチャーを通して、参加者には、江戸市民にとっての隅田川は心浮き立つ娯楽空間であったこと、そして彼らは四季の移ろいを隅田川沿いに楽しんでいたことを理解していただけたのではないかと考えている。とりわけ、浮世絵作品に登場する鳥居や木材などの各種モティーフから作品に描かれている場所を特定することができるという点に驚かれた方が多かったようで、実際、アンケートに「浮世絵はただ美しいだけではなく、そこから土地柄や当時の風俗を知ることができると知った」や「浮世絵の見方が変わりそうです」といった趣旨のコメントが見受けられた。
 『隅田側に立つ』という展示それ自体は、一度きりの企画である。しかしながら、偶然通りかかり展示室を覗いてくださった方々が、展示コンテンツやトークイベントへの参加をきっかけに隅田川に関心を持つようになれば、隅田川というある種の公共空間が有する歴史的価値や文化的価値にも目が向くようになる可能性が高く、そして企画には、公共性・公益性が付与されることになるだろう。別の言い方をするならば、「浮世絵×隅田川」トークイベントが、長い歴史を有する隅田川とその周辺に住み働く人々との距離を縮めるための一助となりえたということである。とりわけ地元の方に関しては、今まで何気なく通り過ぎていた(かもしれない)隅田川という存在に対して、「ここでは昔、あんな情景が広がっていたんだなあ」とか「江戸の人々もこの川に沿って歩いていたんだろうなあ」といった具合に「浮世絵×隅田川」トークイベントの内容を思い出し、この川と周辺地域の歴史に思いを馳せてもらえれば、隅田川という公共空間に対して、このトークイベントが微力ながらも貢献できたことになるのではないだろうか。
 また、浮世絵に限らず「絵画作品って奥が深い/おもしろいんだな」と来場者に思っていただけたならば、それは間接的に、美術展や美術館の存続・活性化にも貢献しうるだろう。なぜなら、もしトークイベントへの参加を経て「地域の美術館や美術展に足を運んでみよう!」という気持ちになってもらえたとしたら、訪問先の美術館で講演に参加したり展覧会図録や関連書籍を手に取ったりするという次のアクションに繋がる可能性が十分にあるからである。そして、そこで芸術作品と各作品が制作された歴史的背景に対する関心がさらに高まれば、地域の美術館に定期的に足を運んでくれるようになるにちがいない。そうして美術に関心をもつ人が増えれば増えるほど、各地で行われる展示の規模も大きくなっていくだろう。
 ひとつのトークイベントがどこまでのインパクトをもち得たのかは、感染症対策の観点から定員を設けていたこともあって、正直なところ定かではない。しかしながら、このような試みを継続することは、一回の企画がもたらす効果が小さかったとしても、いつかそれは回り回って、芸術文化の保護・振興につながっていくのではないかという希望を持ちつづけたい。私は春から大学院に進学をし、引き続き、美術史研究—特定の美術作品が制作された社会的・政治的背景を読み解き、時には現代社会の問題とそれを結びつけて考えること—に精力的に取り組みたいと思っている。そして、もし機会を得ることができれば、『隅田側に立つ』の企画を通じて得た学びをもとに、新たな展示企画に挑戦していきたいとも考えている。
 最後に、今回、普段から浮世絵に関心のある人ではなくて、通りすがりの人々を「浮世絵×隅田川」トークイベントに巻き込むことができたのは、日ごとにさまざまな分野のゲストをお呼びした『隅田側に立つ』の特殊な企画形態の強みであったと私は考えている。来場者がこのトークイベントを機に浮世絵とその制作背景に対して関心をもち、すみだ北斎美術館をはじめとする地域の美術館や、日本各地で開催される浮世絵関連の展示に足を運んでもらえるようになれば、非常に嬉しく思う。

↑『隅田側に立つ』でお客さんに説明をする福元さん。